2010年1月10日日曜日

震災15年 県外被災者帰郷遠く 県支援登録が京都6人、滋賀1人

 阪神・淡路大震災で兵庫県外に避難した「県外被災者」に、県が公営住宅の募集要項などを毎月送付する帰県支援事業の登録者が、ピーク時の約1500人から99人に減っている。京都府内は6人、滋賀県内は1人しかいない。これまでに255人の帰県が確認されたが、「あの朝」から15年の間に、望郷の思いは募っても高齢化などで故郷に戻ることをあきらめた人も少なくない。
思い募るも高齢化が壁
 後藤チヨノさん(81)は当時、神戸市長田区の長屋に夫と二人で住んでいた。ともに無事だったが、家は全焼した。「着の身着のまま」で、京都市西京区の長男夫婦宅に避難した。「30年近く住んだ家だった。長田神社のそばの便利な場所で、近所に友人も多かった。京都は一時避難のつもりだった…」
 しかし、長田区役所から公営住宅の案内が届いたのは、2年後だった。6年前に夫を亡くし、「戻ることは、もうあきらめた」。そう言いながらも、神戸の思い出を話すと、目に涙を浮かべた。
 県外被災者は当初、兵庫県の推計で約5万4700人いた。県は帰県支援事業「カムバックコール&メール事業」を1998年に始めた。今年3月末に期限を迎える事業の延長を検討しているが、登録者99人のうち60歳以上が63人を占め、「帰県の意志をどれだけ持っているかは、はっきりしない」(県復興支援課)という。
 京都に移り住んだ人たちの多くは「県外避難者京都の会」をつくり、年に数回、食事会や旅行で集い、支え合ってきた。一時は100人を数えた会員も高齢化し、亡くなったり健康上の理由などで、今は5人に減った。  灘区から左京区の長男宅に移り住んだ女性(84)は、県の帰県支援事業の登録を数年前にやめた。「生まれ育った神戸に帰りたいが、現実的にはもう無理。京都にも慣れた。会員同士で励まし合いながら、生きていきたい」。寂しそうにつぶやいた。
2010年1月10日付(京都新聞)
続きは・・・http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2010011000013&genre=C4&area=K00

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