2008年8月22日金曜日

気迫のサヨナラ打、心臓の難病も克服 ソフト西山

 生まれつき心臓の弁に問題があった。かけっこも禁じられた。それでも小学時代は医者に内緒でバスケットをした。母美千子さん(57)は「できればやらせたくなかった。苦しくなったらすぐにやめなさいと言っていた」と話す。
 走り続けなくてもいいスポーツにと、中学からソフトに転向。弁の提供者が見つかった中学2年の時に移植を決めた。その2、3週間前だった。地元実業団のソフトボール教室で、チームにいた斎藤監督から声をかけられた。96年アトランタ五輪で大活躍したあこがれの選手だ。
 「いつか一緒にやろう」
 その言葉を胸にソフトを続けた。術後の経過は順調。ランニング本塁打にできる打球を二塁でとまっていた人生が変わった。「思い切り走れることが何よりうれしかった」。斎藤監督と同じ実業団に入り、俊足と堅実な打撃が評価されて代表入りした。
 父義信さん(66)は術後のやりとりを思い出す。「完全に治ったわけじゃないんだよ。突然倒れて死ぬかもしれない。それでも続けるのか」「グラウンドで死ぬのは怖くないからやらせてほしい」。そこまで好きならやらせようと見守ってきた。医者からは「思いきってやっておいで」と五輪に送り出された。
 西山は言った。
 「本当にこの場にいるだけで幸せ。自分がプレーをする姿で、世界中の人に感動を与えたい」。大好きなソフトの舞台で、言葉通りの最高のプレーを見せた。(延与光貞)
続きは・・・http://www2.asahi.com/olympic2008/news/TKY200808200373.html
2008年8月22日付(朝日新聞)

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