2007年11月17日土曜日

アトムと私 シリーズ

(4)犬がいれば大学通える
   出会いが進路も決めた

障害を持つ男性が運転する車の窓から犬が首を出し、駐車場の発券機から券を取っていた。兵庫県宝塚市のコンピュータープログラマー、木村佳友(よしとも)さんと介助犬シンシアを紹介する雑誌に、目がくぎ付けになった。1999年秋、埼玉県所沢市の国立身体障害者リハビリテーションセンターを退院して、約半年後のことだ。

 「あんな犬がいれば、私も外出できるのではないか。大学生活も可能じゃないか」

 居ても立ってもいられなくなり、インターネットで探すと、京都市に訓練中の介助犬がいることを知った。両親に頼んで訪れると、アトムは、訓練士・木村有希(ゆき)さんが操作する車いすの横にぴったりと寄り添っていた。ビー玉のような目をしていた。

 「かわいい」。一目ぼれだった。

 しかし、当時は介助犬の育成が始まったばかりで、多くの希望者が順番を待っていた。あきらめかけていた2000年3月、訓練所から「アトムとの相性テストを受けてみないか」という電話が入った。テストの結果、運良くパートナーに選ばれた。
 
 その理由を木村さんは「あなたがアトムの名前を呼んだとき、頭を上げて向かって行く姿を見て、大丈夫だと思った。呼ぶ声が必死だったこともあるかもしれませんが……」と話す。

 実際にアトムに認めてもらうには時間がかかった。アトムのパートナーはあくまで訓練士。私が綱を持っても目はいつも訓練士を追っていた。

 週に3~4回、岐阜県の実家から京都市に通った。アトムに会いたい一心で、電車にも初めて一人で乗った。訓練士の指示がなくても、投げたボールを私のところへ運んでくるようになるまで1か月かかった。そして5月、全国で14頭目の介助犬アトムと私との共同生活が実家で始まった。

 ペンを落とせば拾ってくれる。暑ければ袖を引っ張って服を脱がしてくれる。ひもを付けた吸盤をガラス戸にくっつけると、戸も開けてくれる。

 高校の友人はほとんどが進学する。事故で一時は進学をあきらめかけていたが、アトムがいれば大学生活もできるのではと、意欲がわいた。

 この年の秋、面接などで選抜するAO入試で同志社大学新聞学専攻を受験した。新聞学を選んだのも、アトムがきっかけだ。

 岐阜県初の介助犬として新聞に取り上げられた。それまでは、どこへ行くにも介助犬を説明する必要があったが、ある日、飲食店を訪れると「新聞で読んだよ。介助犬ね。はいどうぞ」とすんなり入れてもらうことができた。

 マスコミを通じて理解が広がることを実感した。マスコミについて勉強してみたいと思った。この体験が新聞記者を目指す原点となった。

(2007年10月19日 読売新聞

続きは・・・http://www.yomiuri.co.jp/feature/atom/fe_at_07101901.htm

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