2007年11月18日日曜日

アトムと私 シリーズ

(5)広い大学 移動に大汗
   アルバイト 母付き添いで
 
京都府京田辺市の丘の上にある同志社大学キャンパスで2001年4月、アトムと私の大学生活がスタートした。介助犬を伴う大学生は私が第一号だった。
 
 敷地は約80万平方メートルもある。授業を受ける建物は限られるとはいえ、私にとっては移動距離が長く「15分の休み時間に一人で教室を移動できるだろうか」と、不安でいっぱいだった。
 講義が終わる前からノートを片付け、移動に備えた。扉はドアノブタイプで、私もアトムも歯が立たない。出ていく学生に開けたままにしてもらうよう声をかけた。

 学内では、いろいろな場面で助けられた。エレベーターのボタンを押してもらったり、坂道で車いすを押してもらったり。小雨の中をぬれながら移動していると、通りがかったOBが傘を差しかけてくれたこともあった。

 大学の配慮もありがたかった。車いす用の机を用意し、試験のときは途中退出する学生にアトムが反応しないように別室で受けさせてくれた。食堂なども含め、アトムと私が入ることができない場所はなかった。

 学内は過ごしやすい場所だったが、必修の週1回の体育は大変だった。けがや内臓疾患などで、通常の体育を受講できない学生向けの講義を受けた。手にラケットをくくりつけてのバドミントンや、パターゴルフなどに挑戦した。

 最大の難関は、体育館への移動だった。約500メートルの坂道を上り続けなければならず、段差もある。これは学内ボランティアとして登録している学生に介助をお願いした。
 アトムは、体育の時間こそ介助犬と書かれたかばんを外し、芝生を走り回っていたが、それ以外はほとんど「待機」の状態。語学の講義で一緒だった友人の太田裕子さん(25)は「授業中、アトムはじっとして動かない。授業は1日に3~4時限(1時限は90分)もある。よく頑張っているなあ」と感心していた。
 
アルバイトもした。福祉に携わる人々に話を聞くラジオ番組に十数回出演した。収録場所は大阪。当初は一人で電車やタクシーを乗り継ぐのが不安で、一緒に借家暮らしをしている母に付き添ってもらった。
 「せっかくアトムもいるのにもったいないやん。はよ、お母ちゃんなしで、京都から大阪ぐらいきぃさ(来なさい)」。同じ番組に出ている車いすの先輩に、こう言われた。

 このままではいけない。社会に適応するために「自立しなければ」との思いが強まっていった。

(2007年10月20日 読売新聞)

続きは・・・http://www.yomiuri.co.jp/feature/atom/fe_at_07102001.htm

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