2007年11月17日土曜日

アトムと私 シリーズ

(3)待ってくれてる人がいる
  事故、リハビリ…克服する力に

1998年1月3日、高校2年生の時、私の人生は大きく変わった。冬休みに名古屋のデパートに買い物にいった夜だった。

 私はワゴン車運転席の後ろに座っていた。交差点に差しかかった時、信号を見落とした車が向かってきた。「あっ、ぶつかる」。その瞬間、記憶は途絶えた。

 「窓ガラスを突き破って飛んでったらしいよ。でも落ちた所に花のプランターが置いてあって、即死を免れたんやって」。事故から2か月が過ぎたころ、母が教えてくれた。

 首と腰を骨折し、両手の握力と足の自由を失っていた。「歩くのは難しい」。母の口からそう聞いた時、「死んでしまった方が楽だったんじゃないか」と思った。助かったことを素直に喜べなかった。

 皆と一緒に走れない。バスや電車にどう乗るのか。教室までの階段は上がれない。ノートが取れない。
 
 当たり前の動作すべてが不可能になってしまったように思え、病室から出るのが怖かった。

 そんな時に支えになったのは、「学校で待ってるから」という友人の一言だ。

 友人は当時のことを「どう言葉をかければいいのか思いつかなかったが、会って何かしら元気づけたくて、病室に向かった」と振り返った。

 待ってくれる人がいる。帰る場所がある。事故から3か月ほどが過ぎ、漠然と車いすでの生活を思い描くようになった。

 9月に愛知県の病院から埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリテーションセンターに転院した。

 最初はベッドの上で寝ころびながらズボンを履くのに、30分以上かかった。自分の足を手で持ち上げてズボンに入れ、左右に転がりながらズボンを引っ張りあげる。ベッドから車いすへの乗り移り、歯磨き、スプーンとフォークの食事――。どれも事故前の3倍以上の時間を要する。幼稚園児のころにできていた動作ができない。情けなかった。

 リハビリを投げ出しそうになっては、周囲に励まされた。小学生の子どもに弁当を作ってやりたいと、片方の腕を失った主婦が調理の練習に励む姿を見て、「ふてくされている場合じゃない」と気持ちを持ち直した。階段から落ちて首の骨を折った60歳代の女性は、自由が利かない手で5分もかけて、袋から取り出したあめを私に渡してくれた。
 「病室から出ることさえ嫌がった娘が、入院仲間と外へ出ていくようになった。仲間の力は大きいと感じた」と母は話す。

 身の回りのことができるようになり、退院するまで8か月。事故から1年4か月が過ぎていた。

(2007年10月18日 読売新聞)

続きは・・・http://www.yomiuri.co.jp/feature/atom/fe_at_07101801.htm

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