2007年11月17日土曜日

アトムと私 シリーズ

(1)介助犬と懸命に取材

 念願の記者生活スタート

「アトム、テークチェア(車いす引っ張って)」

 5月7日、中村警察署(名古屋市)で、しばらく途方に暮れていた。横にいた介助犬アトム(ラブラドールレトリバーの雄・8歳)に声をかけると、アトムは車いすの左前にくくりつけてあるバンダナをくわえた。約23メートルのスロープをぐいぐい引っ張り上げ、ついに上りきった。「ナイス・ボーイ(よくやった)」。またもやアトムに助けられた。

 私、館林千賀子(28)は今年4月に読売新聞に採用され、中部支社社会部に配属された。障害者の身の回りの世話をする介助犬を伴った車いす記者は、私が第一号だ。事件事故や様々な社会事象を最前線で追いかける警察署回りになった。

 アトムに助けられたのは、交通安全広報部隊の出発式の取材でだった。

 中村署の玄関から道路に下りるには、13段の階段かスロープを通らなければならない。白バイ6台が出発する様子を、道路に下りて撮影しようとまごまごしていると、副署長の脇田泰嗣さんが「スロープは大丈夫?」と声をかけてきて、下まで車いすを押してくれた。
記者クラブのドアに付けてもらったロープを引っ張るアトム(中村署で)

 戻りも心配する脇田さんに「大丈夫」を連発したものの、取材を終えてはたと考え込んだ。「どうやって署に戻ろうか」。2階の記者室には、荷物を置いたままなのだ。

 スロープの幅は1メートル20しかなく、車いすは幅55センチ。アトムは車いすの横に並んで引っ張るので「横幅の狭いスロープの上りは難しいだろう」とあきらめ、これまでは人に頼んで車いすを押してもらっていた。

 だが思い切ってアトムに指示してみると、アトムは自分の体を半歩前に出し、途中で一息つきながらも、引き上げてくれたのだった。

 私は手も不自由なので、ドアノブが回せない。一人では記者室に入ることも出ることもできないのだ。

 入社間もない4月のことだった。広報の窓口になる堀井悦雄警部補が「記者室は大丈夫?」と一緒に見にきてくれた。「アトムがドアを引っ張れればいいんやろ。よっしゃ」。堀井さんは、ドアの側面から飛び出す金具をテープで留め、アトムが口でドアを引っ張れるように、ドアノブにタオルをくくりつけてくれた。

 署長の梶浦正俊さんもスロープ入り口の自転車を整理し、エレベーターに乗り合わせた時は、ボタンを押すよう署員に指示をしてくれた。

 アトムは会社でも私のピンチを救ってくれた。

 私を受け入れるため、全面改装してもらったトイレ内で、車いすから落ちてしまった。自力では車いすに戻れない。携帯電話で助けを求めたが、トイレには内から鍵をかけ、外からは開けることもできない。

 「アトム、オープン」。アトムは前脚で懸命に鍵を押し上げ、ついに鍵を開けたのだった。
 アトムはもちろん、周囲の様々な人たちに助けられながら、私は社会生活をスタートさせた。

 高校2年生だった1998年1月、館林記者は名古屋市内で交通事故に遭い、頸椎(けいつい)損傷で車いすの生活となった。アトムと出会い、生きる望みを得た彼女は、新聞記者を志した。これは、アトムとともに懸命に社会生活を送る新人記者の物語である。

(2007年10月16日 読売新聞)

続きは・・・http://www.yomiuri.co.jp/feature/atom/fe_at_07101601.htm

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