2007年11月18日日曜日

アトムと私 シリーズ

(9)空回りした就職活動
   試験での希望 受け入れられず

大学3年生から本格的に就職活動が始まった。新聞社へのあこがれは年々、強くなっていた。

 大学で行われる就職説明会に顔を出し、テレビ局や新聞社のセミナーに出席した。車いすの私とアトムにとっては、駅までの移動、切符の購入、電車の乗降、車内での車いすの位置取り、ホームと改札口との上り下り……など、すべてがちょっとした冒険だ。

 東京に行く時は、インターネットで介護タクシー会社を調べて利用した。「チワワみたいな小ちゃい犬やったらええけど、そんな大っきい犬はなぁ」と以前に乗車を断られたことがあり、乗車拒否をされないか不安だった。説明会場へ向かう途中の橋が階段のために渡れず、遅刻しそうになったこともある。しかし「一人で動けなければ、とても働くことはできない」と、自分を奮い立たせた。

 新聞社に内定した知人を介して、新聞社で働く大学の先輩たちに話を聞いた。挑戦する心意気は買ってもらえたものの、ある先輩からは「あなたにはフットワークというハンデもある」と言われ、落ち込んだ。

 事故で大学入学が同級生より3年遅い私は、受験資格の年齢制限にひっかかることもしばしば。試験では、筆圧が弱いためボールペンの使用、書き直しのための作文用紙と時間延長、介助犬の同伴を希望したが、書き直しの用紙や時間延長の希望は受け入れられないという会社もあった。

 仲間がテレビ局や新聞社に就職を決めていくなか、私は就職先がなかった。自分なりの努力が空回りに終わり、結局、大学院で勉強し直す道を選んだ。

 大学院では、マスコミ希望の学生が作文をお互いに批評しあった。「夢」という課題に「私は18歳のときに、交通事故によって両手両足の自由を失った」「夢では立ち上がって歩いているのに、現実では歩けない」「体の状態の違いにかかわらず、より多くの人が、喜びを享受できる社会をかなえることが将来の夢」と書いた。

 仲間からは「暗い」「重い」とさんざんな批評を受けた。必要以上に車いすの自分にこだわるのはやめようと吹っ切れた。

 大学院では、「アトム日記」を書かせてもらった読売新聞だけを受験した。年齢制限ぎりぎり。新卒受験最後の挑戦で、やっと内定をもらった。
 介助犬との生活について多くの取材を受け、成長を後押しされた。「今度は私が記事を書くことで誰かの役に立ちたい」。意欲がもりもりわいてきた。(館林千賀子)

(2007年10月26日 読売新聞)

続きは・・・http://www.yomiuri.co.jp/feature/atom/fe_at_07102601.htm

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